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映画「グリーンゾーン」試写会を終えて

3月に全米公開、5月に日本で公開される「グリーンゾーン」という映画の私だけのための試写会に行ってきました。配給会社としては、この映画を5月時点でどう売ろうかと考えているようであると同時に、映画のディテール等についても気になったようです。

日本では最近、イラクに対する関心は急速に冷えているようですが、米国人にとってはまだまだ生々しい記憶が残っています。米国で公開される3月は、イラクで総選挙が実施される頃ですが、オバマ政権は、ブッシュ政権がアフガニスタンで行ったのと同様に、「選挙が実施されて民主主義が実現し、良い方向に向かっている」と喧伝しながら駐留米兵撤退のモメンタムを作り、11月の中間選挙に向かおうとするのでしょう。これに対してこの映画は、「ちょっと待ってくれ」と冷水を浴びせることになるのでしょう。

日本人にはこういう意味合いでのメッセージ性は低いのかもしれませんが、バグダード市一等地の多国籍軍支配地域「グリーンゾーン」が持つ意味は、イラクのみならず、普遍的に重いようです。公開がまだなこともあり、ここでストーリーについて語るのは控えますが、グリーンゾーン内の論理は占領者の論理で、そこでうごめくのは米国内の官僚の論理であり、権限争いです。それにもかかわらず、グリーンゾーンの論理はイラク全土、イラク人の命に決定的な重要性を持ち、彼らの運命を左右するのです。映画では、グリーンゾーンの論理が暴かれることになりますが、この論理こそ、イラクを泥沼に引き込んだ理由の一つと言えるのかもしれません。この意味で、映画の中で最後に「本当のイラク人の顔」が現れる瞬間は、「あっ」と思わされました。

公開されたら、こんな背景に今一度想いを寄せるのもよいのかもしれません。

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参議院選立候補ご報告

本日、本年7月の参議院選挙の埼玉選挙区の候補者として民主党より公認されるとさいたま県連より発表がなされました。
当選の暁には中東研究者としては第一線から退かざるを得ないと考えており、大学もすでに辞任し、現時点ではど素人の候補者として、何をすればいいのかと暗中模索の状況です。

政治家としてはふさわしくない記述かもしれませんが、研究者としてのブログをお読みただいた方に、小生が立候補を決断した正直なところを以下の通りお伝えしようと思います。

1.政治の原体験
小生の最初の政治との出会いは、市長であった祖父でした。私は政治家としての祖父を尊敬しています。彼が入院していたころ、中学生であった小生は入院していた祖父に夜間付き添い、そこから学校に通う生活を続けていました。混乱していた祖父はしばしば病院を抜け出そうとしましたが、ある晩、祖父が病院を抜け出そうとしたのに際し、小生は祖父を押しとどめたところ、祖父から何発か殴られ、「今は議会中であるが、俺が行かなければどれだけの低所得者や母子家庭の方々が困るか分かっているのか」と怒鳴られました。それは深夜のできことであり、議会中でもありません。しかしながら、祖父の言葉はあまりに衝撃的で、祖父の身体を気遣う孫としては押しとどめたい一方、祖父の熱い思いを感じた一人の男としては、想いのままに行かせてやりたいと大いに迷い、頬を伝う涙がなぜ流れたのか、理解できませんでした。しかしながら、その時、子供ながらに「政治とは重いもの」との想いを強く感じたのを記憶しています。

それから約十年余、私は外交官としてイラクにいました。外交とは相手国に自国の考えるように動いてもらうことですが、その究極は戦争で相手国を跪かせることにあります。しかしながら外交官は、武器を使わずに相手国に影響を与えることを目的としており、つまり外交とは、「武器を使わない戦争」と考えてきました。ところが、小生の最初の任地であったイラクでは、末端の外交官にすぎないながらも、その努力は水泡に帰し、国際政治の中で翻弄されて戦争が始まりました。戦争が始まる際の外交官としての無力さと無念さは、言葉にできないほど大きなものです。日本人の中では最もイラクに親しんでいることを自認していながら、戦争を避けて帰国する際にイラク人に言われた言葉は今も忘れません。「お前は日本人だから出国できるけど、俺はイラクにとどまり、アメリカ軍の攻撃を待つだけだ。元気でな。」戦争がいやで、平和がいいのはどの国民も同じはずですが、私は無力でした。それにもかかわらず、今でも外交は戦争を予防することができると信じていますし、外交官としての限界も、政治家ならばある程度越えられるのではないか、再度チャレンジできるのではないかと考えたこともありました。

湾岸戦争から6年を経て再びイラクを所轄した私が目の当たりにしたのは、豊かで安定していたイラクが制裁下、大混乱していた様子でした。その後数年を経てイラクは、テロの巣窟となり、最悪で月に3千人が殺害される国となりました。79年に韓国とほぼ同額の一人当たりのGDPを記録し、石油の富の下で所得税すらなかったイラクが混乱へ突き落されたのは、政治家の判断の誤りと社会の混乱が原因です。独裁者が君臨しながらも、安定して宗派間の殺し合いはなく、犯罪は日本よりも少ないと感じられた国が堕ちて行ったさまを見るにつけ、今の日本の安定もはかないものかもしれないと痛感し、政治の重要さを思い知らされました。

2.現在の日本が置かれている状況
日本は現在、様々な意味で下り坂にあると思います。それを覆い隠してきたのは、小渕内閣以来、公的資金の投入と称して投入されてきた多額の金でした。前政権下で組まれた予算が執行されているにもかかわらず、これだけの不景気をかこっている現況は、日本の現況を如実に現わしていると思います。また、全国で6都県を除けば人口は減少に転じており、右肩上がりの産業育成策の継続は自ずと無理があるように思われます。その一方で社会も安定傾向にあるとは思えません。さらには、政治家も目先にとらわれ、ビジョンを失っているように思われます。

また、過去において日本が歩んできた正解の道も変更を余儀なくされているように思われてなりません。世界のGDPの50%以上を米国が占めてきた時代に構築された日米関係と将来の関係はおのずと変わることになるでしょう。その変化は、オール・オア・ナッシングではあり得ませんが、これまでの手法を見直すことは必須と思われます。

3.ヴィジョンについて
上記のような状況を鑑みるに、重責を担うはずの政治が日本の未来をいかに描いているのか、各党の衆議院選の際のマニフェストを見直してみました。自民党の描くヴィジョンは2.の問題意識にとうてい応えるものには見えず、賞味期限切れに思われました。みんなの党については、衆議院選前渡辺代表とも議論したのですが、千人当たりの公務員数が先進国の中で最も少ない我が国において、マニフェストの第一番目に「公務員天国」云々と取り上げることが、公党の主張として適当かについて疑問が残りました。民主党については、外交については疑問があるものの、右肩上がりを前提とせず、65歳以上の生活を保証する一方で、子供を増やして成熟した社会を支える経済的なパイを増やし、弱者に対するセーフティネットを構築する。その一方で、現役世代には苦労をかけるが、市民をして競争力のある産業を選択させる「組織を経由しない」金の流れを作るという手当の在り方、およびそこからこぼれてしまった弱者を救うというヴィジョンを提示していました。この民主党のマニフェストから読み取れるヴィジョンを、政治家たちが正直に総体として提示しないことは不満がらも、比較すれば最善と思われたのでした。

4.施策の在り方と人材
さてこのようなヴィジョンの比較では、民主党に共感したものの、施策の手法については疑問なしとはしません。たとえば外交は将棋ではなく囲碁のように、絶対的正義や完全勝利はなく、一定の目的に到達するまでには忍耐が必要です。仮に結果が同じであってもプロセスが重要で、91年の湾岸戦争の際に拠出した130億ドルが評価されない一方で、03年の50億ドルが評価されたように、売り方とその前の根回しが極めて重要です。しかしながら、現政権の外交手法にはこの点が欠けており、それを担う人材も不足しているように思われてなりません。

それでは、自民党が代替選択肢になり得るかと考えると、現状では10年は難しいかもしれないように見えます。麻生前総理が半年早く解散し、150議席を維持していたならば状況は変わったかもしれませんが、現状は暗いとしか言えないように思われます。それは、鳩山政権への支持率が低下しながらも、民主党への支持率が下がらない国民の見方とも通じているのかも知れません。

このような中で、本来政治家にあまり関心がなかった小生の中で、前述の政治の原体験に基づく疑問が湧きました。また、福沢諭吉先生のおっしゃる「立国は公にあらず私なり」という言葉がふつふつと沸いてきたのです。特に、数合わせのパワー・ゲームの中心ではなく、政策を練ることができる参議院で民主党議員として小生なりの知見を発揮できるのではないかと思いました。

以上が、決断までの経緯と理由ですが、政治家になるためには、その前に選挙を経る必要があります。政策はさておき、選挙についてはずぶの素人であります。正直なところ、聴衆を前にして「私はこれだけ立派で、他の候補者よりも優れている」と述べることにすら抵抗感があります。このように候補者としては情けない自分ではありますが、国政の場という新たな戦場で貢献できますよう、頑張る所存でありますのでご支援のほど、お願い申し上げます。

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