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ハマースの勝利?!

ダマスカス空港に向かう途中、飛行機に送れるかをひやひやしながら、イスラーム抵抗運動(ハマース)の事務所に立ち寄り、アブー・マルズーク政治局員に会ってきました。

アラブの諸紙では、ハマースの勝利を喧伝する記事も目立ちますが、アブー・マルズークもユニークな視点からハマースの勝利を強調していました。

彼によれば、第一に、イスラエルはガザ侵攻の目的を達成できなかった由で、その目的とは、(1)ファタハへの支持とハマースからの離反促進、(2)ガザ再占領、(3)2月10日のイスラエル総選挙における与党の支持獲得、(4)ハマースの武装解除としていました。しかしながら、彼によれば内政上の支持獲得を含めてイスラエルはその目的を達成できず、停戦直前までミサイル発射を停止できず、密輸も停止できなかったのであり、イスラエルの敗戦はつまり、ハマースの勝利を意味するとのことでした。

第二に、極めて疑わしい主張ながら、戦闘においてもハマースは勝利をおさめた由でした。彼によれば、ハマース側の被害48名に対しイスラエル兵は80名死亡しており、イスラエルは戦線を収拾できずに米国経由で停戦を模索したとのことでした。

最後に、ハマースは国際的な支持を勝ち取ったと強調していました(この点については、小生も同意見です)。国際社会はガザ侵攻を契機に人道的観点から対イスラエル批判を強め、欧州諸国は即時停戦に動きました。また、彼によれば、2か月前にアラブ諸国はファタハ支持でまとまっていたのに、今回の戦闘を契機にシリア、スーダン、カタール、アルジェリア等がハマース支持を打ち出し、西側諸国もこれを機会にハマースと公式に接触するようになったとのことです。

小生は「アラブの統一」が成し遂げられずに、アラブ諸国はまた失望感を味わったのではないかと質問したのですが、アブー・マルズークによれば、ファタハ支持でまとまっていたアラブ世界にくさびを打ち込み、分断をもたらしたのはすなわち、ハマースの勝利であるとのことでした。

彼によれば、ハマースは抵抗を通じて勝利を得た由ですが、パレスチナ人の命と引き換えに、イスラエル与党が選挙の票を得、ハマースが支持を伸張させたとすれば、それは勝利なのか、はなはだ疑問です。

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若者たち

今日はシリア最後の日ですが、これからハマースの幹部と会う予定です。

中東世界における変化の中で、若者たちの感覚は大きく変わっているようで、それをジェネレーション・ギャップと済ませるには余りにナイーブな気がしてなりません。

シリアにおける論調は全面的にガザ地区に対するイスラエルの攻撃を非難し、人道的な団結を呼びかけるというものです。我々が遭遇したいくつかのデモにおいて掲げられた旗等も同様の趣旨で、「イスラエルによる虐殺を許すな」という趣旨のものが多かったように思われ、興味深かったのは、シリア在住のシーア派系慈善団体による「ガザはもう一つのカルバラー(殉教者イマーム・フセインが虐殺された場所)」というバナーでした。その他に「ガザに勝利を」といった旗もありましたが、デモに参加した小中学生と話をすると、「シオニストとは徹底的に勝利するまで戦う」等の威勢のいい回答が多く、イスラエルの圧倒的な軍事力を前にフラストレーションをためているであろう彼らが、そのまま大人になることは懸念されます。

イラク北部のクルド地域においても若者たちの感覚は、かつてのクルド人たちとは異なるようです。多くの大人や政治家たちが、「クルドの独立は不可能である」としているのに対し、若者たちは独立は当然の主張だと感じているようです。すでに指摘したとおり、ほとんどのクルドの若者は、イラク人であるにもかかわらずアラビア語を理解せず、米国、戦争、中東諸国との連帯といったアラブ・中東世界を語る上でカギとなるいくつかの事項に対して、多くのイラク人やアラブ人と異なる感覚を有しています。彼らがクルド社会を担う時に、独立に向けた「時限爆弾」は爆発するのでしょうか。また、現在マーリキー首相が強く主張している「イラクの統一を確固たるものとするための」憲法改正が動き出すとき、彼らはどのような反応を示すのでしょうか。

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初めてのロケ

今回のシリア、イラク行きは2月21日にNHK-BSで放映される予定の地球特派員の取材でした。地球特派員はすなわち私で、ナレーションまで私が付けるそうです。

スタジオの外でのインタビュー程度はありましたが、いわゆるロケというのは初めてでした。

「大野さん、歩きながらつぶやいてください」、「大野さん、ここは地元の人に語りかけてください」云々と、考えれば笑ってしまうような迷演技でした。

Loca Loca2

しかも、アラブですから、ハプニング満載です。
徹夜で北イラクからアンマン国際空港、そしてシリア国境まで来て、「今日は寝ましょう」と言っていた矢先に電話が入り、「外務次官が待っている」と連絡が入ったり、撮影をしていると人が群がるのは当たり前、インタビューをしている人物以外が口をはさんで言い合いになったり、更にはレポーターが勝手に店に入ってつまみ食いしたり(これは私です)、ディレクターが食べなれない羊を食べて以来、突然羊嫌いになったり。。

そのロケも明日で終了、帰国の途につきます。スタッフの皆さん、わがままな大野につき合わせ、お世話になりました。
Loca3

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彷徨う

今回の旅ももうすぐ終わろうとしている。
中東に来るたびに、いろいろなことを考えさせられる。

今回強く感じたのは、中東の人々は彷徨っているということ。

今回の旅はちょうど、イスラエルのガザ侵攻と重なった。ガザ情勢については中東諸国に詳細に報道されていたが、冷戦後の世界では、もはや統一されたアラブの立場などというものは存在せず、ドーハにおいて開催されたアラブ首脳会議には、多くの国が出席しなかった。サウジアラビアでは抗議活動を抑制する政府の動きが始まり、エジプトは、ガザ地区と接する国でありながら、占領地の封鎖を続け、人道的な見地から批判を招いた。国民の間でも同様で、2005年のレバノンにおけるヒズボッラーが勝利を宣言した際とは大きく異なり、ガザの惨状に大きな同情が寄せられながらも、ハマースに大衆の大きな支持が集まったようには見えなかった。米国は大統領の交代の時期に当たったこともあり、今回の危機の主役の一人には見えず、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国の外交努力の方が目立ったようであった。各国がそれぞれ独自の利益を見出そうにも、頼るべき軸は見えない様である。

経済面では、世界的な景気の後退と物価高が庶民を苦しめている。シリアの物価は7年前よりも倍近く上がったように感じられ、かつてにぎわった有名店でも閑古鳥が鳴いている。厳しい中で宗教に助けを求める兆候は継続しているようだが、一時期よりもその勢いを感じない。

新しい米国大統領への期待も、その人事やガザ危機に対する沈黙を通じ、就任時には疑いの色が強くなっていた。イラクにしても、多国籍軍の撤退は歓迎するとしながらも、その先が見えないまま、来るべき空白を埋めるための政治家たちの争いが目立ち始めている。今週、シリアを後にしてイラクに向かったイラク難民、アブー・アフマド一家が定住するはずのバグダード市アーザミーヤでは、一昨日、イスラーム党事務所を狙ったとみられる自動車爆弾により4名が死亡した。彼らにとっては難民生活を続けることもつらかったはずだが、帰国してもそこはまだ安定したとは言い難い祖国である。

今日会った学者が言っていた。「ブッシュとイスラエルの中東全域に対する陰謀は失敗した」と。仮にそうだとしても、その後の中東世界が目指す先は見えない。

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北イラク雑感

北イラクから出国しました。あっという間の滞在で、できなかったこと山盛りでしたが、19年ぶりのエルビールは大きく様子を変えていました。

オバマ大統領の就任式は、クルド人が集まる喫茶店で一緒にジャジーラ放送による中継を見て、彼らと意見を交換しました。以前紹介したブッシュ大統領の任期終了を喜ぶ声は、クルド地区ではほとんど聞かれないのは、予想したとは言え、驚きでした。半分くらいの人々は、「ブッシュは独裁者から我々を解放してくれたのだから、いい大統領である」との意見を有していました。このような意見は、ほかの中東諸国ではなかなか聞かれないものです。それにもかかわらず、半分以上の人々は、オバマ政権が中東全体の紛争に変化をもたらすのではないかとの期待を抱いているようです。

その一方で、ブッシュ政権の任期に関する意見交換をしている際に、喫茶店全体を巻き込む議論を仕掛けた若者がいました。彼曰く、「独裁者サッダームにせよ、所詮米国の手先として働いていたことがあり、イランに戦争を仕掛けたではないか。ハラブチャでクルド人が虐殺された時、米国は沈黙を守ったではないか。初戦は米国の政策に我々は振り回されているのだ。」これに対して、多くの人々が、「それでも誰が独裁者からクルドを救ったのか。」等の意見が飛び交ったのです。最後に一人が、「だれにせよ、クルド人の権利を認めてくれる大統領が必要なのだ。」と述べていました。

クルド地区の人々の意見が他の中東諸国と異なるのは、対米姿勢だけではありません。街中では、イスラエルによるガザ侵攻を批判し、パレスチナ人との連帯を求める、ほかのアラブ諸国でよく目にするような幕や運動は見られませんし、新聞もガザにほとんど注意を払いません。この点をクルド民主党(KDP)の政治局員にぶつけてみると、彼は、「正しいアプローチではないが、サッダームがクルド人を虐殺した時、ただ一つのアラブの国もクルドへの連帯を示さなかった。最悪の虐殺を経験した我々ではあるが、このようなアラブの過去の態度に鑑みれば、ガザを支援する気にはならないのだろう。」と述べていました。

やはり中東は複雑です。クルドの人々が異なるのは、政治的立場にとどまらず、イラクという国内にいるにもかかわらず、ほとんどの若者はアラビア語を話しません。クルドは新たな問題となる可能性と、新たな共存の可能性を示しているのかもしれません。

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クルドの部族

エルビール滞在は早くも2日目を迎えたが、やはりこの地は、大都市であるにもかかわらず、今でも部族色がきわめて強い。

頭に巻くスカーフやその下にかぶるものは、部族により巻き方やデザインが異なり、たとえば、自治政府大統領の所属するバルザーニー一族のそれは、Barzani白いかぶり物で、スカーフはそのはじを少したらすのが普通である。

その後、膝の上でスカーフを巻いて形を整え、それをかぶれば、バルザーニー一族の一員の出来上がりである。

Hat Barzani2  ちなみに今日は、バルザーニー一族のある家族に夕食を呼ばれて行ったが、延々とペシュメルガ(クルド民兵:死を恐れぬものという意味)として英雄ムッラー・ムスタファ・バルザーニーに従った彼らの父親の話を聞かされた。

1947年、イランに設立されたクルドの共和国、マハーバード共和国が短命に終わると、イラクから参画して国軍司令官となっていたムッラー・ムスタファはイラク北部に戻るが、イラク国内に居場所がないことを理解すると、支持者たちと共にソ連に亡命する。この508名の支持者たち(ソ連に到着したのは501名)の一人が、彼らの父親ベクであり、それは彼らの大きな誇りなのである。彼らの父親はその後、長年ペシュメルガ活動に身を投じ、山岳地帯でイラク軍を苦しめ、最終的には年老いて、イラク政府の許しを得て故郷に戻り、隠居生活を送る。

Wajba 一通り彼らの話を聞いた後(全部で5時間半にわたった)、豪華な食事となった。

座らされたのは、長老が座る奥の席で、食べ始めるのは私からだ。少しすると、しきたりに従い、別の場所で食事をしていた最年長の女性、つまり彼らの母親があいさつに来る。彼ら一族はほぼ隣同士に住み、毎日、母親にあいさつをし、なにも用がなければ実家で食事をする。

Wajba2 そして、「わが部族がお前の安全に責任を負うのだから、云々」と口上を述べられて、最後はお礼をして辞去した。

なんとも微笑ましいが、毎日続くと、面倒なしきたりでもあった。

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北イラクにて

やっとの思いで、今日の朝、イラクのクルド自治区の首都エルビールに到着しました。北イラクに来るのは19年ぶりで、町が大きく発展し、ものもあふれているのには驚かされています。かつてはシタデルを中心にこじんまりとまとまっていた町は、外側に大きく膨れ上がっていました。

Qaraa_2 イラクの中でも最も安定している地域の一つであるエルビールの治安状況に目に見える不安はなく、警備状況も手薄で、これでいいのかなと思わされるほどでした(と言っても、イラクへの旅行をお勧めしているわけではなく、旅行の検討に際しては、外務省の渡航情報等を参照してください)。 ちょうどこの町で、オバマの就任式典を迎え、アラブ風のお茶屋で式典の様子を眺め、お茶屋の人々にいろいろ聞きまわったのですが、さすがに親米的で、他のイラクの諸都市をよそに「わが世の春」を謳歌するクルド地区の人々、ほかの多くの中東諸国とは異なる反応を示しており、興味深かったです。 ブッシュがいなくなることへの感想を問うと、「サッダームを倒したのだから、誰が何と言おうと、ブッシュは正しかErbiljadid ったんだ」、「ブッシュの対イラク政策は間違っていたが、対クルド政策については大正解であった」等の答えが多かったように思われました。

オバマ新大統領に対しては、ブッシュ時代よりも良くなると考えている人が多いようですが、その根拠はあやふや得、どちらかというと印象にすぎないという感じを受けましたが、理由としては、「新しい波を作り上げている」、「戦争の大統領であるブッシュから、平和の大統領になるんだ」等の意見がありました。 これに対して、若い新聞記者を名乗る人物は、「そもそもサッダームも対イラン戦争等で米国の手先にすぎなかった。米国は自国の利益で動いており、ブッシュはやはり悪い」と述べ、お茶屋の中のクルド人の間で言い合いになっていました。

また、オバマ新大統領が就任演説でイラクやアフガニスタン問題に触れながら、ガザ情勢に言及しなかったことについては、「まだ新しい大統領なのだから、今後の政策を見る」等の意見が多数派でした。 そもそも、クルド地区はアラブや中東・イスラーム諸国との延滞意識が希薄なところで、想像通り、ガザに対する関心は極めて低く、中東でも珍しい地域です。町中でも、ほかの中東・イスラーム諸国にあふれているガザとの連帯を求め、支援を促すような掲示は一切見られませんでした。

こんな中東が存在するのもまた、現実です。

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敗戦

北イラクに向かったはずの小生は、いろいろトラブルがあり、まだダマスカスで、本日、再度イラク行きをチャレンジします。

さて、ガザで停戦が成立しました。

イスラエルによる一方的停戦は、内政により戦争を行うのが常のイスラエルの総選挙をにらんだものと考えられます。もしかすると、国際的批判にもかかわらず国内世論の戦争支持の高まりを受けて、当初の予定よりも戦争は長引いたのかもしれません。

いずれにせよ、一方的停戦により、国際社会の批判をかわし、死に体化したブッシュ政権の下で圧力をかわし、オバマ就任時に「イスラエルの戦争を支持するか否か」という切羽詰まった質問に直面させず、与党にとり有利な状況を作り上げるという意図は達成され、また、この後でハマースによる攻撃が深刻化すれば、停戦を宣言したイスラエルの側に正義はあるという環境は整えられました。

ハマース側のダメージはひどいようで、シリアの新聞を見る限りでは、1週間以内のイスラエル軍のガザ地区からの撤退および人道物資受け入れのための国境開放を条件に停戦を受け入れるようです。前者は、選挙をにらんで派遣部隊に死者を出したくないイスラエル側が考えているラインに合致し、後者は、エジプトとの協議により達成できることですから(すでに昨日から協議を開始)、当初、完全撤退、国境開放、制裁解除を停戦の条件としていたハマースがより現実的な条件を示したと考えることができる、つまり現時点では停戦に前向きと考えることができると思われます。

さて、この戦争、どちらが勝ったのか。当然、イスラエルは、「目標以上のものと達成した」との立場を変更しないと思いますし、ハマース側は圧倒的な勢力差のあるイスラエル軍を前に、生き残ったことこそ勝利で、また人道の勝利も叫ぶことでしょう。おそらく、ここでは明白な敗者は存在しないと思います。

ただし、アラブ諸国は敗者だと思います。湾岸戦争以来の米国の一極支配の下でのアラブの混乱は、現在でも同じ状況で、ドーハの首脳会議からサウジやエジプトが抜けたばかりか、レバノンまで出席しませんでした。エジプトに関しては、国境封鎖の当事者であり続けたのです。アラブの分裂は今回も深刻でした。また、それに対する民衆の不満がどこに向かうかは危険なようにも思われます。エジプトをはじめとする国々の今後にさらに留意すべきでしょう。

さて、敗者といえば、写真の御仁、「戦争の大統領になりたい」といった方ですが、シリアの新聞では「約束された夜明けまであと2日」、「あと1日」、と期待と共にカウントダウンが始まっています。

Bush

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イラクは遠くなりにけり

今日は、北イラクに赴く予定でしたが、二転三転して、けっきょくダマスカスに戻ってきました。

ダマスカス発バグダードおよびスレイマーニーヤ経由の12時半発イラク航空機に乗る予定が、スイレマーニーヤのには立ち寄らないと、一回目の変更。

次に、出発時刻が12時になって、二回目の変更。

さらに、出発時刻が7時になり、三度目の正直と思いきや...

イラク航空であらかじめ問題ないことを確認し、ボーディング・パスを貰い、出国のはんこうをもらって、バスに乗り、タラップまで行ったところ、「北イラクのビザだけでは不十分で、中央政府発行のビザをもらってこい」と言われ、さんざん押し問答した揚句、追い返されました。

明日、ヨルダンまで陸路で出国し、そこから北イラク便をトライする予定です。

そもそも、北イラクの「自治政府」が独自にビザを発給すること自体、ナンセンスです。

悲惨なので、おととい撮影したウマイヤド・モスクの夜景を一枚。Masjid

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あるイラク難民の帰国

15日に、翌日にイラクに帰る難民の家で食事をしました。

アブー・アフマド一家で、バグダードのアーザミーヤ出身のスンニー派です。イラクから4年前に出国した主たる理由は、仕事もなく、安全でないこと。帰国する理由も経済問題で、シリアで職を見つけることは極めて困難で(公的には禁止されている)、蓄えも底をつき、国連の支援金だけでは家族を養い得ないことから、帰国を決断したそうです。帰国しても、当初イラク政府から支払われた帰国支援金は、今や過去のもので、帰国者の数も一時期より多くはないようです。Abuahmed

最後の晩餐は、家族揃っての鳥鍋で、三人いる娘たちは、「祖国だから帰るのは当たり前、シリアもいいけどイラクのがもっといいはず」と言っていました。すでにイラク訛りは抜け、シリア弁で話す長男は、「おやじがレストランで働いていたから、おれもレストランで働く」と意気込んでいました。

翌16日、出発するバスを見送りました。バスは満杯で、大きな荷物とともに帰国します。バス代金は一人1200シリア・ポンドで、石油価格の高騰とともに、価格は約4倍に跳ね上がりました。シリアに住むイラク人運転手によれば、バグダードには民兵がうようよしており、金をせびられるそうです。旅行時間は17時間、三か所で休憩をしながら帰国の途ですが、ほとんどのイラク人はうれしそうというよりは疲れ切っています。

Abuahmed3 Bus

イラクに帰国する人々の思いは様々ですが、帰国が彼らの望みをかなえるのではなく、帰国こそ苦難の再開です。アブー・アフマドの一家が、再びアーザミーヤでレストランを開くときには、必ず立ち寄りたいと思っています。

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クネイトラ

16日、金曜日の休みを利用してクネイトラに行ってきた。久しぶりのクネイトラではあったが、やはり感じさせるものは多い。

Kuneitra Kuneitra2

クネイトラは、67年戦争でイスラエルにより占領され、74年の合意に基づきシリア側に返還された地域で、破壊された町並みがそのまま残されている廃墟である。

廃墟や建物に残る弾痕は、戦争のもたらす悲惨さを語るに十分だが、その一方で、政治臭も漂う街である。というのも、これらの破壊された建物は、イスラエルが引き渡しの際に爆薬を仕掛け、潰した上でシリア側に引き渡したとされている。また、引き渡しの条項の中にはクネイトラの再建が含まれているのに、シリアはイスラエルの手法をPRするために、意図的に再建せずに放置しているというのだ。

いずれの主張が正しいかは別として、戦争と政治が人々にもたらす悪い面をまざまざと示している場所に他ならない。ゴラン高原には、イスラエルが築いている入植地、キブツが44か所存在する。仮に和平が達成されても、これらの入植地と占領された街々は、クネイトラと同じ悲惨さを人々に強いることはないのであろうか。

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占領地の花嫁

シリアにはまだ戦争が生々しく存在している。

Shammal_2 たとえば、シリア南西部に位置するイスラエルに占領された町、マジュダル・シャムス。ゴラン高原にあるこの町は67年の第三次中東戦争によりイスラエル軍に占領され、81年にはイスラエルの「北部郡」に組み込まれたままにある。最初の写真のように、シリア側施設の眼と鼻の先にあり、その間には地雷原と国連兵力引き離し部隊(UNDOF)が展開している。ちなみに、陸上自衛隊のゴラン派遣部隊はまさにここにいる。Fence

Gate 戦争により引き裂かれたこちら側と向こう側には、親戚同士が引き裂かれており、かつては毎日、シリア側と占領地側で拡声器を使い、相互に呼びかけあっていた。現在では、2月17日に象徴的に拡声器を使った呼びかけが行われるだけで、通常のやり取りはメールやチャットだそうだ。

マジュダル・シャムスのように今もイスラエル側に占領されている地域は小さくはないが、シリア側クネイトラ近郊で、イスラエルに占領されている街に嫁を嫁がせた家族に会った。「?」と思われる方も少なくはないであろうが、シリアは占領地出身者をシリアの大学に受け入れており、シリア人というアイデンティティを捨てていない彼らは、ヨルダン経由でシリアに赴き、シリアの大学で勉強するのである。このようにしてダマスカス大学で知り合ったシリア側の女性と占領地側の男性は恋に落ち、結婚して占領地に居住したのだという。家族は一年に一回、ヨルダンで落ち合い、再会を懐かしむ。

彼女の母親は言う。

「歩いて行けば30分なのに、会うためには隣国に出なければならない。私たちの権利の返還は、娘を私たちに返してくれるはずだ。」

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ブッシュにさようならまで、あと何日?

シリア滞在3日目。

オバマ大統領の就任に寄せるシリア人、パレスチナ並びにイラク難民の期待は小さくないようです。その期待は、オバマに寄せるものというよりは、ブッシュが政権を去ることに対する期待といった方がいいのかもしれません。シリアの独立系ワタン紙は毎日、1面に写真のような記事を掲載し、「ブッシュが政権を去るまであと○日」と掲載しています。P1160073

アラブの人々がこのような「希望」しか抱けない状況は悲しいものであり、いかにブッシュ政権が彼らを失望させてきたかは深刻です。

14日、BBC放送に対してバッシャール・アル=アサド・シリア大統領は、人々が期待を抱けない状況が過激主義を呼び、過激主義がテロを招くと述べていました。逆を言えば、期待を抱くことは極めて重要なようです。

15日に会談したモントゥジスUNRWAシリア事務所長は、「人々が希望を抱いたことは重要である。その期待が実現するか否かは別として、これまで期待を抱けなかった人が希望を持ったことは、希望の実現に向けた第一歩に他ならない」と述べていました。

この期待はまたもや裏切られるのでしょうか。また、ガザの人々が希望を抱ける日はいつ来るのでしょうか。

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ガザ支援デモ@ダマスカス

P1140081 14日、シリアに到着して二日目、イラク人難民申請所訪問やシリアの日雇い労働者に対するインタビュー等を行ってきました。

朝のテレビを見ていると、昼過ぎからガザの子供たち支援のデモを実施するという告知が流されました。イスラエルによるガザ攻撃開始以来、アラブの世論は燃え上がっており、各国でパレスチナ支援のためのデモや支援物資送付の輪が拡大しつつあるようで、「見学」に行ってきました。シリアやイラクのような社会主義系の国は、伝統的に動員がうまく、主催者の言う1万人参加という数字ほどではないにせよ、5千人程度が参加しているように見えた大規模なものでした。彼らは、学校やチャリティ組織に所属するものが中心で、情報省からメッザの国連事務所まで行進をしていました。

P1140079

参加者の多くが子供や女性であったせいか、デモ自体が過熱することはなく、イスラエル国旗を燃やすときおよび国連事務所前でスローガンを叫ぶときがもっともボルテージが高まった程度で、99年のイラク空爆の際のシリア民衆の政府ですら制御の利かなったデモの二の舞になるようなことはありませんでした。

彼らのなかで個人的に関心をひいたのは、「ガザはもう一つのカルバラーである」と書かれた横断幕を先頭に行進する一団でした。彼らは、ハーシミーヤ奉仕財団の人々で、シリアに居住するシーア派の組織で、「カルバラー」とは言わずと知れたイマーム・フセインの惨殺を指しています。また、彼らは、同時に同じシーア派のヒズボッラー支援を強く打ち出していました。

デモは国連事務所でイスラエル非難の署名を手渡して解散となりましたが、「平和はどこにあるんだ」と子供が描いたらしい紙を手に行進する幼子が妙に印象に残りました。別な10歳の子供に、「なぜパレスチナとの協調が必要なのか」と聞くと、「イスラエルによる占領が終わるまで我々は戦い、イスラエルをやっつける」と述べていました。

子供たちが生々しい戦いに過激な主張をする...まだまだ、平和は遠いようです。

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イラク青年食堂

現在、仕事の関係でシリアに滞在しています。久しぶりのシリアですが、町並みはあまり変わりなく、物価は上昇したかなという印象です。ほかのアラブの国に久しぶりに訪れると、印象が一変するほど新たな建物が立ち並んでいるのが普通なのに、産油国であるはずのシリアがあまり変わっていないのはさびしい限りで、経済政策はもとより、米国一極支配の世界において反米のレッテルが貼られる政治的意味も、少なからず影響を及ぼしているようでした。

ところで、シリアには数多くのイラク人難民が滞在していますが、その中でシーア派が集まるダマスカス市内のサイエド・ザイナブに行ってきました。かつてイラン人で占められていたこの地区には、イラク人の姿の方が目立つようになっています。八百屋で、「ラッギー」とスイカをイラク方言で呼ぶ姿には、感激してしまいました。

90年代にヨルダンにおける私の最もお気に入りのレストランの一つであった「マトアム・シェバーブ・イラーキー(直訳すれば、イラク青年食堂。小生の友人のホカリ氏が日本名命名者です)」というイラク飯屋がアンマン市アブダリーにありましたが、この店は再開発でなくなってしまい、さびしい思いをしていましたが、なんと、ダマスカスのサイエド・ザイナブにおいて、系列と称する同名店を発見しました。仕事の関係上、まだここで食事をしてはいませんが、あまりの嬉しさに店内に入りはしゃいでいたら、ビーツのサラダだけ、ただでごちそうになりました。ノリの悪さもイラク人らしく、中途半端で嬉しかったです。

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グリーン・ゾーン引き渡し

 2009年1月1日、多国籍軍の駐留の法的根拠となっていた安保理決議が期限切れを迎え、イラクに主権が移譲された。イラクが、実質的且つ全面的に主権を行使するまでには、まだ時間がかかりそうではあるが、しかしながらこの移譲は歴史的出来事である。

 中でも、バグダードのグリーン・ゾーンがイラク政府の主権下に引き渡されたことは、象徴的であったと言えよう。この地域の治安権限移譲と言ってもそれは、完全にイラクに治安権限が移譲されたとは言い難い。米軍のパーキンス報道官によれば、「米軍はイラク治安部隊を訓練し、チェックポイントに配置されて共に治安を担い、治安維持能力を支援する」由である。つまり、グリーン・ゾーンのチェックポイントでは、「イラク側が入域しようとする人物を行かせるか行かせないかの判断を行う」が、そのルールは米軍が定めたものに基本的に基づき、また米軍の「意見」が相当程度反映されるのである。
 グリーン・ゾーンはバグダード市中心部の10キロ平米にも及び(区域の境はいく度にもわたり変更されている)、イラク政府崩壊後に米軍によりコントロールされた地域で、そこにはCPAや米軍の指揮所、米国大使館をはじめとする外交使節のみならず、米国のハンバーガー・チェーン店等が米ドルで取引を行う、まさに「進駐軍」地域である。外交官と言えどもこの区域への立ち入りは自由ではなく、その基準は米軍主導の多国籍軍にいかに貢献しているかにより国ごとに区別され、多国籍軍に参加していない国の大使は、参加している国の外交団の下位のランクの者と同様のセキュリティ・チェックを強要される。そこは、米国の基準が適用される「安全地域」であった。そしてこの米国の影響力の強い地域内に、イラク政権要人の一部が居住し、イラク政府・議会が所在しているのだ。

 イラク人のプライドにとって厄介なこの地域がイラクの主権下に引き渡されたことの意味はそれだけではない。この地域は戦争前、サッダーム・フセインの宮殿と政府が所在した地域であった。大統領宮殿区域の地下にはシェルターが張り巡らされ、かりに正門前を通る大通りで車が故障して停車しても容赦なく銃弾を浴びせられる恐怖の地域であった。それゆえ、反体制派はしばしばこの地域を標的にした。サッダームは側近の家族をこの区域内に住まわせ、江戸時代の参勤交代よろしく、「人質」とした。イラク戦争が終了し、この地域の「解放」はただちに、進駐軍に献上されたのであった。つまり、グリーン・ゾーンが括弧付きにせよ、イラク側に引き渡されたことは、イラクの主権の確認なのであった。

 皮肉なことに、この地域はかつて、バグダード住民の困窮を救った女性にちなみ、カッラーダ・マルヤムと呼ばれてきた。サッダーム以来の現代におけるこの地域の住民はしかしながら、イラクの人々を救う者たちとはみなされてこなかったようである。この地域が恐怖の地域から解放され、そこに働き、住む人々が真にイラクの救い手とみなされる時、イラクは独立と安寧を勝ち得るのではないだろうか。

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