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2009年のイラク

 2003年のイラク戦争以降のイラクは、それ以前の不安定をはるかに悲惨なものにした。最大の問題は内政上の安定に他ならない。2007年を通じて何ら成果をもたらすことができなかったマーリキー政権ではあったが、2007年中旬以降はには、米軍の増派の成果およびサドル勢力の停戦により、イラク情勢はある程度安定化を見せた。同年末からの油価高騰は、政権を後押しした。これらを背景に2008年、マーリキー政権は、矢継ぎ早に法律を成立させたが、あり得べき米軍の撤退を前にし、強引な手法に出た。

 米軍をはじめとする多国籍軍なき状況下でのマーリキー首相の立場は変わってくるはずである。2007年半ばまでの治安権限の移譲は、不安要素の封じ込めに引き続くイラク治安部隊の増強が前提であったが、2007年末以降は、ある程度不安の残る県の治安権限移譲が急がれた。ところが、来年6月の米軍攻撃部隊の「定められた地域」への撤退までには、ニノワ、タアミーム、ディヤーラ、バグダード等の治安上の不安が集中している諸県の権限移譲が実施されなければならないことになっている。
 マーリキー首相は、ポスト米軍削減をにらみ、「国民融和」の呼びかけとは裏腹に、敵対勢力もしくは潜在的なライバルを排除する政策に乗り出してきた。具体的には、サドル勢力の武力への挑発と排除、与党内のライバルへの圧力強化及び彼らが力を有する県における民兵勢力の育成等である。このようなマーリキー首相の動きに対し、反対勢力も抵抗を見せている。イラク・イスラーム最高評議会(SICI)やファディーラ党は、南部掌握強化と自治区設立の動きを見せている。さらに、最近相次いでいる政権閣僚に対するテロやクーデターのうわさ等は、マーリキー首相とその勢力に対する反発と無関係ではあるまい。
 イラクの歴史を振り返ると、過去の政権は必ず、①地方を圧倒もしくは懐柔する、②強力な治安もしくは軍組織を掌握する、③石油の富をコントロールする、という手法を採ってきた。現時点でマーリキー首相はそのいずれも有していない。それどころか、地方における不穏な動きと油価の低迷の可能性は、マーリキー首相にとり確実にマイナスになりそうである。

 マーリキー政権の行く末は、単なる政権内部での主導権争いにとどまらない。戦争がもたらした傷跡はいまだ癒えず、また数知れない。今年最大のイラクにおける話題は、イラクを突如訪問したブッシュ大統領に対する「靴」の洗礼であった。このようなイラク人の後ろ向きな反応は、決してイラク人自身望んだものではなく、一部では自嘲も聞こえる。しかしながら、そうでもしなければ自らに降りかかってきた大きな不幸を忘れることができないほど、イラク人はいまもつらい立場に置かれているのであろう。

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米・イラク地位協定

先月末に合意され、先般ブッシュ大統領がイラクを訪問した際に調印した米・イラク地位協定の訳文を更新しました。11月にいったん、作成し、HPに掲載したのですが、今回、訂正分を含めて更新しましたので、今後の米軍のイラクの駐留状況や米軍撤退後のイラクを左右しかねないこの問題の法的根拠となる合意を、読んでみてください。

http://homepage2.nifty.com/saddamwho/HP/__HPB_Recycled/sofa.html

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泣きっ面に靴 ~ ブッシュ大統領のイラク訪問

任期満了を1カ月後に控えたブッシュ大統領が、強い思いを有しているはずのイラクを訪問した。訪問における主たる行事は、米・イラク地位協定への調印ではあったが、そもそも大統領自身の訪問を必要としていたわけではない。イラク戦争をめぐり大きく評判を落としたブッシュ大統領として、治安が一定の改善を見せた後にイラクを訪問し、自らの政策を正当化すると共に、イラク側からの歓迎を受けて、花道を飾る一つの道具としようというのが、もっとも大きな目的であったのかもしれない。イラク政策は間違っていなかったとの発言を繰り返した後の訪問であるだけに、それはなおさらであろう。

ところが、ブッシュ大統領のイラク訪問に向けた思惑は、一足の靴により「泥を塗られた」ことになった。マー力ー・イラク首相との共同記者会見の席上、一人の記者が「イラク人からのサヨナラのキスだ、犬め!」と叫び、大統領に向けて靴を投げつけたというのである。

そもそもアラブ世界において、足の裏は汚いものであり、相手を侮辱するものである。誰かと共に座るときも、相手に足の裏を見せるだけでも大変な失礼にあたる。ブッシュ親子とイラクの間を物語る時、この足の裏および靴は、欠かすことのできないアイテムになってきた。

91年に湾岸戦争を主導した父ブッシュ大統領は、その後イラクにとっての敵役になった。イラクにおいては、バグダードの最高級ホテルであるラシード・ホテルの玄関に「ブッシュは犯罪者」との添え書きと共に元大統領の顔が描かれ、人々が靴の裏で彼の顔を踏みつけて入場するように設計された。ちなみに、この絵を描いた小生の友人でもある画家のライラ・アッタール女史が、その後クリントン政権がバグダードをミサイルで攻撃した際、数少ない犠牲者の一人になったのは、皮肉な偶然となった。

その後、03年のイラク戦争でバグダードが陥落すると、サッダーム・フセイン像が引き倒される有名なシーンが見られたが、引き倒された像は破壊され、サッダームの顔は引きずられ、子供のサンダルの裏でさんざん叩かれる映像が世界に放映された。これも正に、サッダームに対する大きな侮辱であった。

今回の一件の記者の意図は明確にはわからない。しかし、ブッシュ大統領を傷つけることが目的であれば、ほかの手段もあったはずだ。靴を投げたこと自体がメッセージであったようだ。それは大統領に対する侮辱にほかならず、あるいは戦争以降に国をズタズタにされて侮辱されたイラク国民の意趣返しであったのかもしれない。さらに、「犬」は差別用語のみならず、相手を穢すとされるもので、この言葉を叫び、靴を投げたということは、けがらわしいものに対する侮蔑と考えることができるであろう。

03年5月1日、戦闘機で空母に降り立ち、大規模な戦闘の終了を宣言したブッシュ大統領は、その後、批判にさらされ、宣言をした際に後ろに掲げられた「戦争は終わった」の横断幕がまずかったと気まずい発言をせざるを得なかった。任期切れを前にして、彼の最大の「仕事現場」の一つであったイラクへの凱旋将軍を気取ったブッシュ大統領は、またしても体裁を整えることができなかったようである。それは、「泣きっ面に靴」とでも言うべきであろうか。

追記Shoes
二つ目の靴を投げる際、マーリキー首相は身を呈してブッシュ大統領を守ろうとした。マーリキー首相は現在、おそらく米軍撤退後の保身を含め、対抗する多くの勢力に対して極めて強硬な姿勢で接している。出身のダアワ党内では独裁的な手法が批判を呼び、連立政権内のライバル勢力には金で引きいれた部族勢力を対抗させ、さらに反政府勢力には米軍の力を背景とした武力で対処している。現在の強引な政治的な賭けを可能にしているのは、米国の存在に他ならず、ある意味でブッシュ大統領を頼りにしているのである。マーリキー首相の行為は、ホスト国の首相としての「美しい行為」と受け取られたのか。あるいは、「犬」に投じられた「靴」を身を呈して守る「奴隷」と映ったのか。

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