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新イラク国旗

イラク国旗が新しくなりました。

旧イラク国旗はサッダーム政権の圧政を連想させるとの理由で、クルド人と米国が早急な変更を求めてきましたが、2004年に変更された国旗は、水色が基盤でイスラエル国旗を連想させ、早々に葬られました。それ以降、旧国旗が使われ続けたのですが、クルド自治区では、政府の建物においてすら、イラク国旗の代わりにクルド旗が掲揚され、イラク政府の特徴となった行政の麻痺の中で、国旗法の制定も遅れに遅れてきたのです。

新たなイラク旗は、国旗の色はそのままに、中央に記されていた3つの星が取り去られ、手書きの「神は偉大なり」の文字も印刷のクーフィーヤ書体に改められました。

3つの星は、アラブ民族主義の英雄、ガマル・アブドゥ・ル=ナーセルに触発されて60年に取り入れられ、その後、バアス党政権の主張する「統一、自由、社会主義」という意味が付されたものでした。「神は偉大なり」の文字はサッダーム・フセインの自筆とされ、本来であれば宗教など見向きもしなかったバアス党政権が、湾岸危機に際して米国と対峙し、イスラーム色を強めて、ムスリム諸国と国民の関心を惹こうとした際に追加されたものです。

まさに、今回の国旗法、過去の政治的経緯を一掃したわけですが、そこに政治色がないとは言えません。

実質的な占領下で強制された国旗など掲げないとファッルージャ市長が発言したとおり、新たな国旗に対する反発は、前述のイスラエル国旗を連想させる国旗に対するよりは弱いものの、まだまだ根強く存在します。そのためか、国旗法の有効期限は何と1年間で、より良い国旗が模索されていく方向です。また、独自色を強め、中央政府に反して外国企業との間で独自に石油開発契約を締結しているクルドに対する反発が強まる中で、新たな国旗を策定することは、クルド政府に対し、イラク国旗を掲げることを迫る材料にもなるのでしょう。

いずれにせよ、外電で報道された国民の意見は、納得させられるものです。

曰く、「政府は国旗を変えることに一生懸命になるべきではなく、混乱に直面する国民生活への変化を考えるべきである。」

2月11日追記

本日付のシャルク・ル=アウサト紙によれば、10日朝、クルド自治区において、クルド要人列席のもと、新国旗掲揚式典が行われ、クルド議会及び政府関係施設に新国旗が掲げられたそうです。この国旗が一つのイラクを体現する日が早く訪れるように。

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私の履歴書:ジョージ・W・ブッシュ

カナダの新聞に掲載されたブッシュ大統領の就職のための履歴書は次の通り。吹き出してしまったので、私なりに翻訳の上、載せておきます。

ジョージ・W・ブッシュの履歴 2008年2月5日

この人物は、幹部職を探しており、2009年には就業可能で、望むべくは転職を希望しています。

履歴

GEORGE W. BUSH
1600 Pennsylvania Avenue,
Washington , DC 20520

学歴と経験

司法関連
○ 私は1976年にマインの懸念バンクポートにおいて飲酒運転で逮捕されました。有罪となり、罰金を支払ったうえ、30日間の免停処分を受けました。この行政処分記録は「失われて」おり、現在では確認不可能です。

軍関係
○ 私はテキサス空軍ナショナル・ガードに配属され、無断持ち場離脱をいたしました。私は麻薬テストを拒否し、麻薬使用歴に関するいかなる質問への回答も拒否しました。この間、ヴェトナムへの従軍を回避しました。

大学
○ 私は、エール大学を平均Cの評価で卒業し、チア。リーダーを務めました。

過去の職歴

○ 米議会に立候補し、落選
○ 1975年、テキサス州ミッドランドにおいて石油ビジネスを開始。某石油会社を買収したが、テキサスにおいては石油を発見できませんでした。直後にその会社は倒産しましたが、その前にすべての私が所持する株式は売り抜けていました。
○ 税金を用いて作り上げた甘いやり方で、野球チームのテキサス・レンジャースを買収しました。
○ エンロン社CEOのケン・レイを含む石油産業の友人と父の助けを得て、テキサス州知事になりました。

テキサス州知事としての成果
○ テキサス環境汚染法を電力および石油会社に有利な形に書き換え、テキサス州を米国でもっとも汚れた州にしました。任期中、ロス・アンジェルスに代わり、ヒューストンを最も大気汚染が激しい都市にしました。
○ 税の軽減によりテキサス州の財政を破綻させ、数十億ドルという多額の負債を作りました。
○ 米国の歴史上、最も多くの処刑を行った知事としての記録を打ち立てました。
○ フロリダ州知事であった兄、及び父が任命した最高裁長官の手助けで、選挙において50万票差で負けたにもかかわらず、大統領に就任しました。

アメリカ合衆国大統領としての成果
○ アメリカの歴史上初の犯罪歴のある初の大統領になりました。
○ 週に数10億の継続的な支出と共に、二つの国を侵略し、占領しました。
○ 財政上の資産を食いつぶし、アメリカを破産に追い込みました。
○ 米国史上最大の年間の財政赤字の記録を更新しました。
○ 12ヶ月間で最多の企業の倒産の記録を作りました。
○ 12ヶ月間で最多の抵当流れの記録を樹立しました。
○ アメリカ史上最大の株価の下落の記録を作りました。就任後最初の1年間で、200万人の国民が失業し、この流れは継続しました。
○ 閣僚たちはアメリカ史上、最も裕福であり、最も資産の少ないコンドレッザ・ライス国務長官は、彼女の名前を付けたシェブロン社のタンカーを所有しています。
○ 合衆国大統領による最大の募金活動キャンペーンの歴史を作りました。
○ 企業献金に関するアメリカ合衆国および世界記録を樹立しました。
○ 私の最愛の友人の一人で、大統領選挙の最大の支援者であるケネス・レイは、米国史上最大の倒産詐欺をはたらきました。
○ 私の政党は、エンロン社の私有ジェット機を使い、同社の法律顧問は、選挙戦における最高裁判所での成功を確実なものとしました。
○ エンロン社並びにホリバートン社の友人たちを告発から守りました。モニカ・ルインスキー事件に費やした時間と捜査費用よりも多くが、歴史上最大の企業横領事件の一つに費やされました。
○ アメリカ史上最大のエネルギー危機を演出し、石油産業を巻き込んだ汚職が発覚した際に、政治的介入を拒否しました。
○ アメリカ史上最高値のガソリン価格を招きました。
○ 犯罪者に対する政府の契約付与を許可するように政策の転換を行いました。
○ アメリカの歴史のいかなる大統領よりも数多くの犯罪者を行政府に任命しました。
○ アメリカの政府の歴史の中で最も大きな官僚組織である国家治安省を設立しました。
○ アメリカの大統領の中で、最も条約をないがしろにしました。
○ 国連人権委員会からアメリカを排除させた最初の大統領になりました。
○ 世界法律裁判所からアメリカを脱退させました。
○ ジュネーヴ条約の順守を拒否し、戦時捕虜に対する査察官の接触を拒否しました。
○ 2002年の選挙の際には、国連の選挙監視員を拒否した最初の大統領になりました。
○ テレビが出現して以来、最も数少ない記者会見を行った大統領の記録を作りました。
○ 年間最長の休暇記録を作りました。8月のすべての休暇をすごした後、(911連続テロ事件という)アメリカ史上最悪の治安状況を招きました。
○ 世界貿易センターに対するテロ攻撃の後、最も大きな同情を集めておきながら、1年を経ずしてアメリカを世界で最も憎まれる国家に仕立て上げ、世界外交史における最大の失敗をしました。
○ 世界中の非難を集め、人類史上最も多くの人々の抗議を受ける人物としての記録を樹立しました。
○ 挑発もされないうちに独立国家に対する予防的な攻撃と占領を行うアメリカ史上初めての大統領になりました。このような措置は、国連、アメリカ国民の多くおよび世界の意思に反したものでした。
○ 退役軍人に対する医療支援を撤廃し、戦時における軍人とその家族に対する支援を停止しました。
○ 一般教書演説においてイラク攻撃の理由をでっち上げ、我わが友人であるイギリスの嘘を批判しました。
○ 71%というヨーロッパ人から、世界の平和と安全に対する最大の脅威とみなされる初めての大統領になりました。
○ 大量破壊兵器である戦術核の「バンカー・バスター」の開発を支持しました。
○ 現在までのところ、オサーマ・ビン・ラーデンを裁判に付すという公約を達成できていません。

記録とレファレンス
○ 私のテキサス州知事としての記録は、私の父の図書室に収蔵され、鍵をかけられて一般に見ることができなくなっています。
○ 証券取引等監視委員会におけるインサイダー取引及び私の会社の破産に関する記録は、厳秘に付され、大衆に明らかにされていません。
○ 私と私の副大統領がエネルギー政策に関して行った会議の記録は、秘密裏に保管され、大衆に明らかにされていません。これらの文書は、50年間使われることないように指定しました。

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ブッシュ大統領、最後の一般教書演説

1月28日、ブッシュ米大統領は議会に招かれ、恒例の新年の一般教書演説を行った。

今回の演説の外交部分では、北朝鮮問題には一言も触れない一方で、イラク関係に大きな時間が割かれ、過去1年間のイラク情勢の進展が強調された。 ブッシュ大統領は、1年前には改善が見込めると考えた者はほとんどいなかったが、現在では治安分野を中心に顕著な改善が見られ、カーイダは「敗走」に追い込まれていると強調した。もしかするとブッシュ大統領自身、昨年の一般教書演説の際には、イラク戦争と戦後統治の失敗を問われて四面楚歌の状態にあり、掃討作戦のための増派を発表しながらも、改善を予測できなかったのかもしれない。しかし、掃討作戦実施地域(バグダード市および中部スンニー派地域)における死傷者の減少と、シーア派の民兵組織サドル勢力の一方的停戦による首都とシーア派地域における死者数の激減は、おそらく期待以上の成果をもたらしたはずである。ブッシュ大統領が強調したスンニー派地域における覚醒評議会(Awakening Council)の治安活動も、限定的ながら、一定の効果をあげた。

その一方でブッシュ大統領は、これらの進展はいまだ完全ではなく、「なお困難な戦い」が待ち受けているとして、かつて発表した以上の米軍の削減や今後の撤退に向けた道筋を示さなかった。確かに、月に2500人以上が死亡していた時期と比較すれば、治安の改善は著しい。しかし、現在でも700名以上が毎月犠牲になっており、これは外国人が大挙してイラクからいなくなった2005年のレベルとほぼ同じである。また、ブッシュ大統領自身強調している通り、「困難な戦い」は単なる武力による掃討作戦の継続ではなく、イラク政府による努力の必要を強調している。

今回の演説の背景には、以下のような思惑があるように思える。

第一に、大統領には、この一年間のイラクにおける成果を強調しなければならない理由が存在した。イラクにおける米国の政策の誤りは、イラク情勢の改善もしくは撤退をもってしかぬぐえない。米政権が死に体化する中でブッシュ大統領は、テロとの戦いに勝利した偉大な大統領として引退することを強く希望しているが、イラクにおける混迷は、ブッシュ政権に対する強い不信感を植えつけてきた。世界とイラク、アフガニスタンを混乱に追い込んだ大統領としてではなく、テロとの戦いを通じて米国と世界を安定に導いた「偉大なる大統領」となりたいブッシュ大統領にとり、イラク情勢の好転を強調することは極めて重要であったと言えよう。

ブッシュ大統領は、昨年中ごろより、北朝鮮、中東和平およびイラク問題に外交を集中させてきたようである。北朝鮮および中東和平に思い通りの進展が見られず得点をあげられない中、おそらく「ダメージ・コントロール」の対象として考えていたイラクにおいて「思わぬ進展」があったというのが本音かもしれないが、いずれにせよ、アピールできる外交的材料が乏しい中で、イラクでの改善を自らの成果として強く打ち出す策を選択したのであろう。

現在の米国民の関心の中心は大統領選挙にあろうが、大統領予備選においてイラク情勢の改善はブッシュ政権を積極的に肯定するものになっていない。イラク情勢の改善と共にイラク問題は大統領選挙のイシューから後退した。しかし、民主党候補はもとより、共和党候補ですら、ブッシュ大統領とは距離を置いている。一般教書の最後にブッシュ大統領が「自由の力に自信を持って」と添えたのは、ブッシュ大統領の心境を微妙に反映しているようだ。

第二に、ブッシュ大統領は困難な戦いの継続とさらなる進展を強調する必要があった。そもそも一般教書演説は米議会向けであり、予算の継続的獲得と議会の支援を得る必要がある。つまり、撤退を表明できない以上、予算の獲得に向けた理由づけも当然必要である。また、サドル勢力の予期せぬ停戦もあったが、現在の一定の状況の改善をイラク情勢の安定に結び付けるためには、政治・経済といった民生分野の安定とそれをもたらす中央政府の安定と信頼獲得が必須である。しかしながら、これらには目途が立たずにいる。つまり、議会対策として戦いの継続を強調するのみならず、完全な勝利を謳う状況にもないのである。それゆえ、継続的な戦いを強調しながらも、米軍の撤退等について将来への展望を明確に述べることができなかったと言えよう。

外交音痴と言われ続けたブッシュ大統領ではあるが、「悪の枢軸」、「米軍増派」と一般教書演説においては外交分野での表明が耳目を集めてきた。今回の「カーイダ敗走とイラク情勢の改善」は説得力のあるものとなり、ブッシュを偉大なる大統領に押し上げることに貢献するのであろうか。

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