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今年も一年

イラクでは選挙に始まり、サッダームの処刑に終わるあわただしい一年の中で、数多くの人々が殺される事態は終息しませんでした。

来年こそはいい年になりますように、心より祈念申し上げます。

大野はこれより朝まで生テレビですが、一年の最後まで多くの方にご訪問いただきました。御礼申し上げます。

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サッダーム

サッダーム・フセインと実際に会ったことはありませんが、彼との出会いは17年前でした。イラク大使館の専門調査員として、日々、サッダームの演説を翻訳したりしながら、「なんと論理が一貫せず、気分に応じて話題が飛ぶんだろう」と苦労したことをいまだに思い出します。

その一方で、彼はとても素直な一面がありました。かつて息子の悪行がイラク国内で有名になり、父親としても息子の車に火を放って燃やす等、ドラ息子ウダイに苦労していたころ、某週刊誌の記者が「お嬢さんのハラーさんはとても成績がよく、学年一だそうですね」と質問したところ、サッダームは、「大統領の娘だからと言って特別扱いしてそのような質問をするべきではない。大統領の家族を特別扱いすることはよくない」と繰り返しました。どこの親も、子供の育て方には苦労するんだなと想う一方、サッダームの一種の素直さを感じた記憶があります。

サッダームは石油ショック直後に実質的なイラクのナンバーワンになり、その後79年に大統領に就任しますが、この時期はまさに、石油ショック以降、国家の収入が何倍にも膨れ上がった時期です。産油国の常ですが、この時期、国民生活が大いに躍進したことは否定できない事実です。あまりに強硬な国家元首ながらも、右肩上がりの経済を実現させたのでした。

しかしながら、サッダームはイラクを大混乱に陥れます。イラン・イラク戦争、湾岸危機、国連の対イラク経済制裁、湾岸戦争、イラク戦争と、23年間の戦争状態の責任とそれがイラク人にもたらした苦しみはサッダームに起因しています。イラン・イラク戦争時に、民兵を含めて200万に達したイラク軍人の退役問題は戦後、あまりに大きい戦後の社会問題となりました。このあまりに強大な軍隊を使わざるを得ない国内的理由もあったのでしょうが、もちろん、これが隣国を侵略するいい訳にはなり得ません。強大な軍事力をもつと使いたくなるのは、米国と似ているように想います。

おそらくイラク戦争後の苦しみも、サッダームがいなければなかったでしょう。米国に対する批判が根強いのは承知していますが、ブッシュはあくまで助演賞です。

サッダームはしばしば、自分の言葉に酔い、いつのまにか演技してしまう傾向があったと思います。サッダームは裁判を通じて「大統領」であることを演じきり、伝えられるところでは、なんら慈悲を請うことなく処刑されたそうです。サッダーム一流の演技だったのか、本気だったのかわかりませんが、彼の最後は、一部の人々を動かすことになるのかもしれません。

いかなる場合にも人の死は尊敬と共に受け入れられるべきでしょう。サッダームの処刑で今年は終わりましたが、これが新年における多くのイラク人の幸せにつながるものとなることを望みつつ。。。

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サッダーム処刑

サッダーム処刑

30日日本時間正午ころ、サッダーム・フセインが処刑されたとの報道があった。一時代の終わりに他ならない。しかも、米軍管轄下のバグダード市内グリーン・ゾーンにおいてイラク政府の手により執行されたらしく、これは、イラク戦争後の構図を明確に示しているようで、興味深い。

90年5月、バグダードで開催されたアラブ首脳会議において、サッダーム・フセイン大統領は満面の笑みで演説を行った。イラン・イラク戦争に「勝利」してアラブの東岸をイスラーム革命から「防衛」したサッダームは、アラブの盟主として地位を確信していた。

その年の8月、サッダームは肥大化した軍をクウェートに向けて侵攻させ、国際社会から孤立し、米国をはじめとする国際社会や多くのアラブ諸国から吊るし上げられた。サッダームはアラブの大義を振りかざし、イスラエルを標的とすることによりアラブ大衆の同情をひいたが、圧倒的な多国籍軍の前に敗北し、国連の厳しい経済制裁下に置かれた。わずか3ヶ月の「我が世の春」であった。

その後のイラク戦争に至るストーリーは日本でもなじみ深いはずである。サッダームは「諸悪の根源」とされ、米軍の侵攻の口実となった。2003年4月の戦争中にアーザミーヤ地区に姿を現したサッダームは大衆の歓喜に応え、その後、2名ボディガードと共に逃亡生活を続け、この年の12月、「プレジデンシャル・スイート」と米軍に呼ばれたあばら家近くの壕から引きずり出された。

その後、人道の罪に問われてイラク高等法廷で訴追されたサッダームは、大統領を演じきって絞首刑の露に消えた。

サッダームはあらゆる面でイラクを象徴し、恐怖政治を体現した存在であったがために、イラク人に与えた衝撃は小さくないはずである。この処刑をもたらした判決は、3つの側面を有しているようである。
 ○ 元大統領の人道上の罪が裁かれた
 ○ 宗派・民族対立が深まる中で、シーア派やクルド人に対する抑圧が裁かれた
 ○ 旧政権の悪しき秩序が裁かれた

戦後、スンニー派が米軍等の標的となり、疎外される中で、サッダームはいつの間にかスンニー派抵抗運動の象徴となった側面がある。権力や金をばら撒かずともサッダームが祭り上げられたのは、皮肉なことにこれが初めてのはずである。逆に、サッダームの処刑はシーア派やクルド人の溜飲を下げることになった(クルド人に対する罪が法廷で裁かれる以前に処刑されたことに対する不満は残ろうが)。このような感情が表に出る場合、サッダーム処刑はすでに深刻化している宗派・民族対立を激化させ、報復の連鎖の基盤を提供することになる。

国民の信を得られないイラク政権から見れば、無法者の象徴であるサッダームを法の下に裁き、処刑台の上で「屈服」させることは、新時代の幕開けと新政権の正当性を訴える上で、きわめて重要であろう。また、イラク政策の誤りを認めざるを得ず、イラク戦争の大義が問われている米政権としては、サッダームの処刑は米有権者に唯一示すことが出来る「前向きな進展」となるはずである。

サッダームの処刑は、このように強い政治色を伴っているが、旧バアス党勢力の報復を含め、宗派・民族の対立感情は強まるに違いない。政権としては、処刑のプラス面を強調し、いかに事態を収束させるかが問われることになる。その一方で、高まるであろう宗派対立が組織的なうねりとして永続する可能性は高くないように想われる。旧政権の枢要によるテロ活動は、2004年時点よりも後退しているため、処刑を契機として高まる宗派・民族対立感情が組織的に糾合される基盤が存在しないからである。

いまひとつ忘れてならないのは、アラブの反応である。米国の管轄下に置かれ続けたサッダームは、アラブ世界の一部で反米抵抗運動の象徴になっている。イラク人よりもサッダームの圧制に対する反感が薄いアラブ・イスラーム世界では、サッダームの処刑が反米運動を盛り上げる可能性がある。特に、メッカ大巡礼の一連の行事が始まる数時間前に処刑されたサッダームに対する感情は、宗教的に高まるかもしれない。巡礼が終わった後の大祭では、多くのイスラーム教徒が集い、共通の問題を語り合う。この時期は、政治的に機微であり、処刑により高まる感情が増幅される懸念が強い時期である。

諸悪の根源サッダーム政権が転覆され、拘束されれば、世界はよくなり、イラクは別世界となるはずであったのかもしれないが、この期待は実現されなかった。元大統領の処刑は大きなインパクトを残すであろうが、イラク問題の根源は別なところにあることを忘れてはならない。サッダームの処刑にかまけて、イラク問題への取り組みがおろそかになれば、処刑がもたらす負のインパクトがより強調されることになるかもしれない。

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大統領死刑確定

26日、イラク控訴審はサッダーム・フセインに対する死刑判決を支持し、これによって死刑が確定した。27日付ロンドン発行シャルク・ル=アウサト紙は要旨以下の通り伝えている。

イラク高等裁判所控訴審は、サッダーム処刑の判決を支持し、30日以内の処刑の可能性がある決定を下した。ラーイド・ジャウヒー裁判官・高等刑事裁判所大統領特別法廷報道官は、「控訴審は、サッダーム・フセイン、同人の異母弟バルザーン・アッ=ティクリーティ、アワード・アル=バンダルに対する死刑判決を支持する。共和国令により処刑の日が決定される場合、30日以内に処刑が実施される。もしもかかる共和国令が出されないとしても、30日以内の処刑が法により定められているため、それは必要ない。」と述べた。さらに控訴審は、タハ・ヤーシーン・ラマダーン元副大統領に対する終身刑を拒否し、より厳しい罰則を求めた。

「大統領」に対する死刑判決としては、アラブ世界では異例のことであり、米ホワイトハウス副報道官が言うように「民主化プロセスの一環」という政治的文脈からも、重要である。

サッダームはイラク国民の多くにとって恐怖の象徴であり、彼を「克服する」プロセスは、旧政権の呪縛から解かれることを意味する。政府にとっては、国民の信を得られない中で、無法者の象徴を法の下で裁くことにより、権威を得ることを意味する。

この死刑判決であるが、法律によれば、終身刑もしくは死刑の場合には、自動的に控訴審に送られ、審理の手続きが正当なものであったかが審議される。控訴審が差し戻さず、支持する場合には刑が確定し、30日以内に刑が執行されることになっている。

他方で、大統領評議会(大統領および二名の副大統領により構成される)の署名が死刑執行には必要で、この内、タラバーニー大統領は死刑命令書に署名をしないと表明してきた。これに対してアブドゥ・ル=メフディ副大統領は代理署名の意向を示し、議論をよんできた。ところが、今回の控訴審スポークスマンの発言では、大統領評議会の執行命令は不必要であるとなっている。

サッダームの処刑は、法的解釈の正当性については、専門から外れることもありわからないが、政治的判断の余地がないとすれば、そこには現政権にとっての利点と欠点があるようだ。

利点としては、サッダームを法的に粛々と処刑することにより法治国家としての印象を与えると共に諸外国の死刑に対する批判を弱めることが出来、宗派・民族対立に焦点が当たる中で、スンニー派に対する刺激を不必要に拡大しないことが期待できよう。たとえば、控訴審のラマダーン元副大統領に対するより厳しい刑を求める判断が、もしも政治家により下されるならば、大きな物議を醸したであろう。

欠点としては、第一にタラバーニー大統領がクルド人指導者としての側面が上げられる。シーア派住民に対するドゥジェイルでの虐殺事件によるサッダーム処刑は、シーア派の溜飲を下げるかもしれないが、クルド人に対する虐殺が解明されず、感情的にも割り切れないかもしれず、シーア派世論が気になるところであろう。第二に政治的に利用できない欠点がある。大統領に対して死刑が行われなければ納得できないとの判断から国際裁判所を避けたとされる一方、政治的に裁判官を更迭する等の措置まで行われる中で、きわめて影響が強いサッダーム処刑が政治的にプラスに使えなければ、複雑であろう。可能であれば、クルド人虐殺事件に対する判決が下され、来年頭にも予測される次期内閣発足の見通しがついて政治的モメンタムが確保された時点で諸兄をしたいというのが本音ではないだろうか。

付記

28日には、ルバーイー安全保障担当顧問が数日内の死刑執行を明らかにし、その一方で法務次官が大統領の署名の必要性と控訴審による棄却後30日以降の処刑を強調しており、イラク側に混乱が見える。特に米国発の報道では、年内処刑が強調されているようであるが、現在は巡礼の時期であり、普通に考えれば、この間の処刑は好ましくないはずで、執行は来年になる可能性が高いようにも思われる。

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戦争支持

九間防衛庁長官が、7日の参院外交防衛委員会で、米国の対イラク武力行使に関し、「日本は政府として支持すると公式に言ったわけではない。首相がマスコミに言ったということは聞いている」と述べたとのことだ。最初にこのニュースをラジオで聞いたときは耳を疑った。日本政府は閣議決定まで行って米国支持を表明し、国会答弁でも繰り返したはずなのに。

九間さんは地方公務員、国家公務員、地方議員を経て国会議員になられた方で百戦錬磨で、頭はシャープ、しかもイラク人の秘書を抱えていたこともあり、イラク問題に対する関心は普通の政治家よりも高い人だと理解している。にもかかわらず、あの発言は何だろう、何か裏に意図があるのではと勘ぐってしまう。

某評論家の方と話していたら、「米国がイラク政策で火だるまになっているので、政府はいつの間にかイラク戦争を支持していないことにしたいんじゃないの」などと言っていたが、それは無いでしょう。それよりも、米政権の外交政策に疑問が付され、超党派のイラク政策グループが報告書を提出して、米国の対イラク政府に関心が集まると同時に航空自衛隊の派遣基本計画行進でも耳目が集まる機会を利用して、イラク戦争に対する疑問と言うかねがねからの自分の主張を繰り返すための確信犯?などと、疑ってしまいます。すぐに謝罪してしまうのも、怪しい???

ところで、米政権はイラク政策が過ちであると明言し、ブレアもイラクが大惨事になったことを肯定しましたが、日本の政府は、いつごろ間違えだったと発言するのでしょうか。それとも、日本国民はそんなにイラク問題に関心が無いのでしょうかね。

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政界再編の動き?

昨年12月の選挙を経て、5月に新政府が発足した。国民和解を掲げたマーリキー政権は、その言葉とは裏腹に、シーア派ならびにクルド人を政権内で優遇し、スンニー派武装勢力には鞭を、シーア派民兵には黙認をという立場で臨んだ。結果、国民和解を進めるための政権下で宗派対立が先鋭化し、イラクの不安定の最大の要因になってしまった。

シーア派民兵を抑えられない政府に対する矛先は、ジャワード・アル=ボーラーニー内相に向けられ、近いうちに内閣改造を行うことが見込まれている。その一方で、政権会派の統一イラク同盟(UIA)内で主流派を構成しているダアワ党(マーリキー首相所属)とサドル勢力の間に微妙な関係が生じ始めている。
ブッシュ米大統領とマーリキー首相との会談に対し強い反対を表明してきたサドル勢力は、この会談がヨルダンで実現するにあたり、議会をボイコットすると宣言し、6名の閣僚と30名の議員を引き上げた。
このような中で、スンニー派の国民対話戦線やシーア派のファディーラ党、反米色の強い独立勢力などがサドル派と急接近しているとの情報が流れている。親米・反米を軸に政界再編が行われる可能性が出始めた。

そもそも現イラク政権は、イラクの安定のためにすべての勢力を取り込む必要があるとの観点から、主義主張や政策の異なる政党を可能な限り糾合する方向で成立した。また政権会派であるUIAは、2003年末のシスターニー師の周りに集まった勢力を中心に出来上がったが、シスターニー師の利用価値が薄れるにつれ、彼らを結びつけるものは、権力にしがみつくための数の論理に過ぎなくなっているようにも見える。
UIA内では、イラク・イスラーム革命最高評議会(SCIRI)とダアワ党の間のライバル関係が知られている。また連立与党内では、SCIRIのジャアファリー前首相とタラバーニー大統領との確執があると言われてきた。これらの関係は、政界再編が実現する場合に一定の役割を果たす可能性がある。

親米・反米の軸は皮肉なことに、イラクを二分化する最大のイシューであり、対立項としては極めてわかりやすい。しかしながら、この対立軸で政界が二分する場合には、イランの影響力等、米国主導のイラク政治プロセスに新たな要素がより強く入ることになる。
イラク国民の政府に対する不信感を醸成した理由のひとつは、国家の利益ではなく、政党や政治家の利益が優先されて、安定的な政権や効果的な政策運営がなされないことにあった。政界再編が成し遂げられて新たなイラクの進む方向をもたらす場合、宗派対立の構図は変化する可能性があるが、国民不在が継続するのであれば、政府に対する不信感というイラクの不安定をもたらす要素は不変になる。

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