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ヒズボッラーの勝利祭

22日、レバノンのベイルートにおいてヒズボッラー勝利祭が盛大に開催された。

ヒズボッラーの指導者であるナスルッラー師がこの場に現れたならば、イスラエルが空爆するのではないかとの憶測が流れ、イランがこれに対して警告を発する等、緊張が高まる中、ナスルッラー師が現れて、1時間以上も発言していた。ナスルッラー師は、対イスラエル抵抗運動の勝利を讃え、2万発以上のミサイルを保持しているとした上で今後も力による抵抗を行うと強く宣言した。また内政面では、連邦制はイスラエルの物言いであり、統一レバノンが重要であると述べた。

私は、カイロの空港でこの祭りのライブを見ていたのだが、テレビの前には多くのアラブ人が集まって、数万人に膨れ上がったこの祭りの参加者の熱狂を注視していた。

そもそも毎年開催されていると理解しているこの祭りは、アラブ世界の大きな注目を集めることはなかったが、今回の祭りは、事前に各国の新聞が一面で伝えていた。先般のイスラエルとの戦いで善戦 -ヒズボッラーによれば勝利- したヒズボッラーに対する関心は、スンニー派・シーア派という宗派の壁を超えて、きわめて大きくなっている。

この関心、心情的な支援はヒズボッラーを英雄にしている。このような事態になった背景としては、アラブ民衆の不満と冷戦後世界のアラブ各国政府の無力がある。冷戦後の中東世界では、アメリカを常に気にし、正面からアメリカの政策を批判する政府は少なくなった。

その一方で、アラブ民衆の不満は蓄積するばかりである。ソ連というアメリカに対するカウンター・バランスの相手を失ったアラブにおいては、たとえばイスラエル主導の中東和平に不満が渦巻いている。それはパレスチナ内政にまで及び、アラファト元議長が和平を阻害する元凶であるとの主張は、アラファトを退陣させた。選挙の結果、ハマースが勝利すると、人道的苦難にもかかわらず、ほとんどの対パレスチナ支援がストップした。ハマースが今後、前面に出なくなっても、状況が改善することはないであろう。米=イスラエル主導の中東和平の遅滞に基づく多くの問題のつけは、パレスチナ人が払わされている。

政府が優柔不断な態度を維持し、アラブ大衆の不満を噴出させるすべが失われる中で、ヒズボッラーの行為は、まさに英雄的に他ならなかった。ヒズボッラーのやり方がいつまで有効かは解らないが、ヒズボッラーは存在すること自体が目的で且つ勝利である。問題は今後も継続する。。。

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自爆テロ犯に対する死刑判決

11月9日、アンマンのホテルで自爆テロが発生した。イラクのカーイダを指揮するザルカーウィの関与が指摘されたこの事件では、自爆を実行できなかったイラク人女性、サージダ・アッリシャーウィが拘束された。21日、ヨルダンの法廷は、このリシャーウィに対して死刑判決を下したが、彼女は上告する権利を有している。

この事件は、ヨルダンの9.11と呼ばれ、ヨルダン社会と当局に大きな衝撃を与えた。ザルカーウィは一昨年の時点で、テロの戦場をイラク以外に拡大することを表明していたが、ザルカーウィの出身国ヨルダンにおいてテロが実行され、その被害者のほとんどがアラブ人同胞であったことは、ヨルダン人に真剣に受け止められた。

この事件の結果、ヨルダン政府がザルカーウィ掃討に本腰を入れた結果、米軍はザルカーウィを殺害することができたとされている。また、当局が対策を講じた結果、ヨルダン外務省の某課長によれば、その後、2件の無差別テロが未然に防がれた由である。

この後、ヨルダンのホテルやスーパーマーケットには金属探知機が設置され、ホテルの駐車場には車を止めることができなくなり、また、車回しはロード・ブロックで閉鎖された。060922_13250001

他方で、判決が下された21日もしくはそれが広まった22日の段階で、ホテル等の警備が報復を懸念して強化された様子は伺われない。このあたりは、アラブ的なのんきさなのであろうか。060922_13240001

私が話したヨルダン人たちは、この凄惨な事件を契機としてイラク人に対する怨嗟や批判を強めているわけではないようであり、このことは救いである。彼らは、ザルカーウィの責任と非難しながらも、イラク人が悪いとは言っていなかった。テロの結果、罪を犯したりその背後にいる組織を批判しても、それが民族や国の間の衝突に繋がらない様子から、どこかの国は学ぶべきではないだろうか。

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アンマン開発事情

アンマンの地価が沸騰し、インフラ開発が顕著である。

かつてトランス・ヨルダンと呼ばれていた、現在のイスラエル、パレスチナおよびヨルダンの内、イスラエルが肥沃な土地に成立した結果、ヨルダンはもっと荒廃した土地の地域に位置する。それゆえ、元来は大都市もなかったわけだが、67年戦争においてイスラエルに敗北してヨルダン川西岸地区を失った結果、40万人といわれるパレスチナ人がヨルダンに流入し、ヨルダンの首都アンマンは、一気に膨張した。060922_13410001

その後の人口爆発期を経て、現在では人口増加率は2.6%と落ち着いてきてはいるものの、すでに人口は550万人に達している。その内、アンマンには39%が居住している(ヨルダン統計局発表。Jordan Times, July 27, 2005)。戦争前には数千人の町が現在では220万人が居住する大都市に変貌を遂げたのである。

このため、土地の価格は暴騰してきたが、最近また、開発ブームとイラク人等による投資集中の結果、地価は再度暴騰している。昨日会ったヨルダン人は、30年前に購入した土地の価格が260倍になったと話していた。日本ではないが、ヨルダンの土地神話にも根強い信仰が寄せられている。

これだけの爆発的な町の拡張に対し、常にアンマンではインフラ整備が追いつかない状況にある。貧しい土地に成立したヨルダンであるから、当然、人口が集中すると水が必要になる。しかしながら、かつて水源としていたアズラクの水はすでに枯れ、そこにすんでいたカバは死に絶えた。標高800メートルに位置するアンマンにくみ上げられる水は、青みどろだらけの汚い川が水源であり、そこもイスラエル兵士駐屯地から数百メートルに位置して、何か問題があればすぐに水の供給が止まる状況にある。

夏の給水は、高級住宅地ですら週1~2回で、ちろちろと流れる水をタンクにためて、各家庭で使用する。つまり、トイレの洗浄水が止まらなかったりするだけで、数日間水がない状況になる。かつて私がアンマンに住んでいたときには、風呂を毎日ためることはできなかった。

かねてより悪化していた水事情はもとより、現在では開発ブームで様々なインフラ分野で支障がさらに大きくなっている。現在アンマンで進行中の橋梁や道路建設、電話敷設等の工事は、これらの障害を克服するためである。

ある意味で建設ブームは国を潤し、一昨年来の石油の高値は、アラブの産油国と経済関係が緊密なヨルダンをも潤している。しかしながら、土地代、エネルギー代を始めとする物価の高騰は、バブルに乗れない人々を苦しめている。昨年の統計によれば、失業率は12.5%であったが、就職事情は好転しているとも言われている。その一方で、貧困ラインを下回る人が30%もいたとされており、この層は拡大しているように見える。

アンマンの商業地区には、多くの人々が集まり、ヨーロッパさながらの様相を呈しているが、その裏には貧しさも同居している。早朝にアンマン市内を歩くと、ゴミ箱を漁る子供たちという、普段は見れない光景に出くわすことがある。ヨルダンはどこに行くのであろうか?

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アンマンの朝

エジプト並びにヨルダン訪問もとうとう最終日を迎えた。

アンマン最終日のメイン・イベントは朝食である。アンマン市内スウェイフィーヤにあるカルハという大衆飯屋が私のお気に入りである。060922_13500001

ハンモスかな、フールかな、フェッタかな、と思量しながら、やはりこの店はハンモスだろうと一大決心をし、ハンモスとファラーフェルをオーダーする。ハンモスはひよこ豆をペースト状にしたもので、アラブ諸国どこでも見かけるきわめてポピュラーな料理で、これにパンをつけて食べる。ハンモスには唐辛子をつけこんだオイルを好みによってかけるが、これが要注意である。ちぎったパンにハンモスをつける際、時にこの唐辛子オイルが手につくのである。以前、この手で目をこすってえらい目にあった。 060922_14010002_1

060922_14060001 たかがハンモスであるが、この店のハンモスはなかなかのもので、食事時になると多くの人が並んで買って帰る。まじまじとハンモスを眺めつつ、すぐに腹に溜まることを恨みながら思う。やはり、フェッタを食べるべきだったかな。。。

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アンマンのイラク人たち

昨日からヨルダンの首都、アンマンに滞在しています。

ヨルダンはなかなか難しい場所で、表面から見えるヨルダンとその奥に位置するものが大きく異なっているというのが、かねてからの私の印象です。確かに表面上は、湾岸の石油バブルの恩恵を受けてか、大規模公共工事や新しいレストラン、湾岸諸国とみまがうホテル等が目立っています。ちょうどラマダーン直前であり、夜の会合が多いことも町の活気に貢献しているのかもしれません。

ヨルダンの新規プロジェクトの多くは、英国などの企業によるBOTが多いようで、これは、諸外国のヨルダン経済に対する期待を表しているのかもしれません。

その一方で、度重なるガソリン値上げや、物価の上昇が庶民の生活を苦しめているようです。バブル的な経済の中で、給与も上がっているようですが、その一方で、所得の上昇の恩恵に預かれない層もいるようで、バブルは世界共通の格差を生み出すのでしょうか。

そのような中で、アンマン在住イラク人の羽振りのよさが目に付きます。アウーチー家によるロイヤル・ホテルへの投資を始めとする大規模な物件投資や土地購入、真新しいベンツに乗ったイラク人等、イラクから逃げた富裕層が、混乱とパージが続くイラクを避けて、ヨルダンにある程度居住することを前提に、経済活動を活発化させています。ヨルダン特有のイラク・ビジネスも堅調のようです。イラク国内の状況からは想像もできませんが、「イラクがヨルダンを買収している」とヨルダン人が嘆く状況が続いているようです。また、政治的に現政府に反対の人々も多くアンマンに居住しているようです。

かつて制裁時代に、イラク国内からヨルダンに難を避けてやってきていたイラク人たちが、イラク大使館の周りにたむろして、何をするともなく悲しげな顔をしていた様子に慣れていた私にとっては、隔世の感があります。これらのイラク人は、外国から資産を持ってきて、ヨルダンに投資する者、イラクとのビジネスで儲けた者などがいるようです。特に後者の中には、外国企業の対イラク債権の帳消しと引き換えに安い物資を購入してイラクに高く売りつけたり、外国投資や援助の事前調査や仲介を行って儲ける者も少なくないようです。

さて、今日は多くのイラク人と会う予定で、アンマンに居住する暫定政府時代の大臣や、ボンニーヤのようなイラクの財閥系の人々がどのような格好で、どんな話に関心があるのかが興味深いと愉しみです。

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再びローマ法王発言について

17日のローマ法王個人による謝罪が出されて以降、逆にアラブ世界の怒りは拡大したように見られる。法王は、自分の発言がイスラーム教徒に対する攻撃と受け止められ、多くの反応を引き起こしたことを遺憾と思うとした上で、東ローマ帝国皇帝発言の引用は自分の見解ではないと発言したが、これが真摯な謝罪と受け止められなかったのである。

ローマ法王発言に対してなりを潜めていたエジプトの新聞は、一気に法王批判のトーンを強め、解説や意見記事の多くは、法王発言に対する批判である。これらの批判は、「法王の見解でないならば、引用する必要があったのか」、「法王としての立場をわきまえずに行った不用意な発言にもかかわらず、真剣な謝罪をしたとは思えない」、「イスラーム世界における反応に対する謝罪とはどういうことか」というものが多かったようである。

その中でも、「法王はブッシュの政策に乗って、イスラーム攻撃を始めている」という論説と、「東方世界(中東を指す)におけるキリスト教徒はイスラームと歴史的に平和な共存を継続し、預言者ムハンマドが生存していた時期にも寛容な精神を示していたのに、なぜ西側社会のキリスト教徒は共存を拒むのか」という記事は目を引いた。イスラーム世界大衆の素朴な見方を繁栄しているのではないであろうか。

法王はイスラームに転向すればよいとのリビアのカッダーフィー大佐の息子の発言は別としても、責任ある立場の批判も噴出している。アズハルの最高権威であるタンターウィ師は、真摯な謝罪があるまで法王のエジプト訪問に際しての会談を行わないと述べたとのことである。現在、私はヨルダンに来ているが、数日後に予定されていた在ヨルダン・ヴァチカン大使のお披露目のパーティはキャンセルされて、この大使は公的な行事から逃げ回っているそうである。

イタリアの新聞では、世界宗教会議に参加しなかったベネディクト16世は他宗教との交流に興味がなく、前任のヨハネ・パウロとはまったく違うというコメントすら載っていたそうである。イスラーム世界に根強い不信感が増幅され、カトリック側も他宗教に背を向けるようであれば、それはアル=カーイダが望むような憎しみと宗教対立の世界になってしまう。

おりしも週末には、イスラーム世界は断食月に突入するが、この月は特にイスラーム教徒が敬虔になり、お互いの宗教的疑問を話し合う機会が多くなる。早期の解決と用心深い立場が望まれる。

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異文化との相互理解

カイロに滞在した際に、ジャパン・リターン・プログラム日本語サミットなるものにパネラーとして参加した。060919_17220001

このサミットは、日本語を学ぶ人たちがあるテーマについて日本語で語り合うというもので、カイロにおける会議では、エジプト、キルギスタン、カザフスタン、ブルガリア、中国、日本の代表がそれぞれ参加していた。キルギスタンの代表が、セーラームーンを見て、日本語を是非とも学びたくなったと言うのを聞いて、改めて日本文化の多様性を認識した。

「平和」を主張すると言うことは決して容易なことではないが、20代前半の彼らの主張はしっかりしたものであった。 日本の代表が、偏見から自由になって相互理解を深めようと主張し、ブルガリア代表は、日本で学んだ相手の立場を尊重するという姿勢の重要性を主張した。さらにカザフスタンの代表が、マスメディアによる報道の信頼性に疑問を呈した上で、人的交流を通じて直接自らの立場を伝える重要性を強調した。

それぞれに、外国語を学ぶ者の主張として、筋が通ったものであった。 彼らの主張に共通していたのは、相互理解と人的交流の重要性であった。そこでパネラーとして参加した私は、友人同士が理解することは容易だが、平和の実現に向けて人的交流と相互理解が必要だとするのであれば、敵を理解する態度を継続して維持することは可能か、彼らとの間で相互理解を現実のものとできるのか、と問題提起した。エジプト人の聴衆に向け、ブッシュ、ローマ法王、イスラエルをあなたたちは理解しようとする立場を継続できると問いただしたのであった。明確な答えはなかったが、参加者たちの主張は、ある程度真剣に受け止められたのではないかと思った。060919_16260001

さらに、コーディネーターを努めたNHK子供ニュースの元MC、池上彰さんが、「アンネの日記」がユダヤの悲劇を世界に広めたことを引用して何か言おうとしたところ、会場の誰も「アンネの日記」を知らないことに驚いていた。確かにシオニズムと対抗するエジプトでは、ユダヤの悲劇を伝え、シオニズムのPRに貢献した「アンネの日記」を知らなくても不思議はない。

この議論の中でユダヤの悲劇が強調され、顔色が変わった者たちもいた。そこで私は、アラブ世界のPRは十分かと聴衆に問うた。エジプトにはノーベル賞受賞者の有名なナギーブ・マフフーズがいるが、彼の著わしたパレスチナ人の悲劇に関する「ハイファの男たち」は、イスラエルはもとより、日本や西欧社会で果たして広く読まれている著作であろうか、とした上で、「アンネの日記」がユダヤ人の悲劇を世界に広め、同情を集めたのであれば、なぜアラブ世界は「ハイファの男たち」を世界に広めて、パレスチナ人の悲劇を広めて理解を得ようとしないのか、と聞いたのであった。

私はかねてより、米国における9.11同時多発テロが血のにおいと阿鼻叫喚を伴っており、5年を経た今も遺族の苦しみを世界に発信し続けているのに、アフガニスタンやイラクにおける戦争は、なぜ血のにおいを伴わないあたかもクリーンな戦争と見られているのかに疑問を感じていた。国連の対イラク制裁で、薬が不足して死んでいく者たち、戦争で被害に遭った民間人、戦後、米兵に謝って撃ち殺された者たちの血の代償は、平和への問題提起となり得ないのか。

命の重さが等しいなどと青臭い議論をするつもりはないが、単にイスラエルとアラブの相互理解のみならず、世界からの情報であふれているかに見える日本の対アラブ理解も、問題を孕んでいるのではないであろうか。

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エジプト女性考

エジプトの女性というと、どういうイメージであろうか。クレオパトラ?ネフェルティティ?それともベリーたっぷりのベリーダンサーであろうか。

中東の中でも、イランやレバノンの女性は、目を奪われるほどに美しい。しかし、可愛いという形容詞からは遠いようだ。エジプト女性は一般的に、レバノンやイランのような美しさを誇るわけではないけれども、可愛いというのが私の印象である。シャイで、上がり屋、愉しいことが好きで、愛くるしい一面を持つ。

このエジプト人女性が、数年前とは異なって見える。多くの女性たちはヘジャーブで頭部を覆い、より保守的になっているようにも見える。カイロ大学の学生は、楽曲を禁止する極端なイスラームが浸透しつつある中で、音楽や踊りのない結婚式があったと話してくれた。踊りも歌もない結婚式など、生活の大きな柱を失うに等しい。しかしながらその一方で、手を組むカップルがかつてよりも多く見られるようにも思える。

ヘジャーブの有る無しで敬虔さや保守化を語るのは愚かであるが、一つの目安であると思う。彼女たちは今、もしかするとイスラーム化の波とその逆の動きという二つの潮流がぶつかり合う地点にいるのではないだろうか。

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ローマ法王発言について。。の続き

法王発言に対し、イスラーム世界における波紋が拡大しているようである。

現在私が滞在しているエジプトにおいては、今のところデモが発生したわけでも、教会に対する攻撃が行われたわけでもないが、昨日までの、法王側の対応を待ち、抑制された対応には変化が見られてきた。また、カイロ市内のキリスト教会には警備が増員されたようである。どうやら、「ムスリムを傷つけたのであれば謝るが、私の引用が曲解されている」旨の法王の個人的な謝罪が不満の火に油を注いだようだ。

昨日、マフムード・ザクズーク宗教相は、アフラーム紙にコメントを発表し、法王が明快な謝罪をしなければ、イスラーム教徒の忍耐も長くは続かないと述べた。これと呼応するように、各紙が堰を切ったように各国における抗議活動に多くの紙面を割くようになっている。

イスラーム世界の対応は多様である。インドネシアやインドにおける抗議デモに見られたような、「法王に死を」とのスローガンやパレスチナ西岸におけるキリスト教会攻撃、イラクのアル=カーイダを核とするムジャヒディーン諮問評議会やイランの複数の要人による攻撃的発言がもっとも過激なものであろう。

シリアのデモやカタルの法学者ユーセフ・カルダーウィ師による法王の率直な謝罪要求とムスリムに対する抗議の呼びかけがこれに続く。さらに、法王側の発言に一定の評価を与えるものの、より率直な謝罪とイスラームに対する正当な理解を求めるイラク周辺各国の外交団、マレーシア外務相、エジプトの同胞団の要求等(一部については、昨日のこのブログにて紹介した)がある。

東ローマ帝国皇帝の発言を無責任に引いた上で、これを前提として強制的な布教を断罪した法王が、「引用した皇帝の発言に私の真意はない」と釈明しても、それは確かに、説得力がない。「謝らない」ドイツ人の謝罪を評価しろと言っても無理な話でもある。

しかし危険なのは、ムスリム世界ですでに過激な行動を起こした勢力の方向に多くが引きずられかねない状況である。ヒズボッラーの精神的指導者であったファズルッラー師が体制に引きずられた経緯、98年末の米国による対イラク攻撃を抑制しようとした複数の政府が大衆の怒りに軌道修正した経緯等を見ると、大衆の怒りが頂点に達したとき、アラブ・イスラーム政府に彼らを抑制する力はない。 抑制された反応にも限界が来るかもしれない。

平和を希求する宗教の共存が望まれるとすれば、やはり種をまいたものがこれを刈らなければならないのではないだろうか。

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ローマ法王発言について

ドイツを訪問していたローマ法王の発言がイスラーム世界で波紋を呼んでいるようだ。イスラームに対する「侮辱的発言」に対し、各国や宗教家たちが反発している。

現在、私はエジプトのカイロに滞在中であるが、ここでもほとんどの人々が法王がイスラームを侮辱したと理解している。エジプトの新聞の報道を見ると、法王発言の詳細は伝えられていない。イスラームを侮辱し、邪悪で非人間的と発言した程度の発言である。「イスラームに敬意を表している」との法王庁の釈明も、「法王が謝罪した」と事実関係と異なる内容になっている。

その一方で、国内問題以外ではきわめて自由とされるエジプト各紙の報道はきわめて抑制されたものである。アフラーム紙並びにグムフーリヤ紙は、事実関係にとどめ、翌日はまったくこの件に触れていない。アフバール紙やローズ・ル=ユーセフ紙は、次の日も専門家の見解を交えて紹介しているが、やはり抑え気味である。宗教対立を煽り、国内における衝突を回避するとの意図が働いているようだ。

法王のレーゲンスブルク大学での講話は哲学的な内容で(http://news.goo.ne.jp/news/goo/kokusai/20060916/20060916-001001-gedit.htmlを参照されたい)、イスラームを激しく批判するような類のものではない。このあたりの詳細をアラビア語紙は報じておらず、それゆえ、エジプト大衆の反応や一部のイスラームを標榜する組織の批判も直接的になるのかもしれない。

しかしながら、強制によって布教をするとの前提で、法王の講話が続いているのはやはり問題であり、他宗教を刺激するには十分な軽はずみな発言に見える。おそらく内容を理解したであろうイスラーム関係者等からの発言は、たとえばマレーシア首相の「イスラームを理解していない」との発言のように、法王発言を受けた批判になっている。エジプトにおいては、今日、アズハル大学のタンターウィ師が会議を開き、法王発言に対する対応を協議することになっている。

宗教は本来、対立と戦争をもたらすものではなく、イスラームもこの点では同様である。他方で、知的な対話が展開されることは正常であり、今後の展開が前向きな方向に進むことが期待される。法王の発言が確信犯的であったとの見方があたらず、責任あるイスラームの指導者が反発に留まらない本来の寛容な精神を見せることを望みたい。

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カイロ・クロッシング

カイロで道を渡るとき、ほとんどの日本人が戸惑いを覚えるであろう。信号に頼ることはできない。信号の多くは常時右折可なので、車が完全に止まって歩行者を待つことはない。カイロの交差点には暗黙のルールとして守るべき交差点とそうでないものがあるようで、止まらない交差点で歩行者が安穏とすることは不可能である。

そこで、車の間をすり抜けながら、時に小走りを要求される。どこから飛んでくるか解らない車、クラクションの合唱の中、車の流れを見切る必要がある。060918_15070001

とは言っても、ルールを理解して慣れれば簡単なものである。たかが数十キロの物体が全体としては片方の方向から来るわけで(そういえば、昨日、逆行してフライオーバーに入っていった車が橋の上で往生していたっけ)、運転手もひき殺すことが目的ではない。ほんの少し、日本の道を歩くよりも集中力が必要なだけである。少なくとも、夕方のデパートの食品売り場をすり抜けるよりははるかに簡単である。

しかしこのカイロ・クロッシングの王者は、やはりおば様である。地球の重力に逆らわない素直な体型を揺さぶりながら、飛んでくる車をものともせず、見事にマイペースで交差点を渡りきる。彼女たちが喫茶店の小さなテーブルを覆い隠すようにパフェを食べる姿も壮観だが、時に出現する交差点の「妙技」もまたすばらしいものがある。そういえば、かつてバグダードで、私の前を渡ろうとしていたおば様が、黒い被り物であるアバーヤのすそを踏んづけて、直前で倒れたことがあり、肝を冷やしたことを思い出した。

日本では、携帯メールをしながら歩く若者が多いが、一度彼らを大挙してカイロに連行し、歩かせてみてはどうだろうか?

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カイロの朝食

昨晩、エジプトのカイロに到着した。

朝を迎えて、朝食を兼ねて散歩に出た。学生時代にカイロにいたころから思っていたのだが、未明まで多くの人たちが行きかう忙しいカイロも、朝だけは違う表情を見せる。学生時代のように、朝4時に起床し、商品を乗せたロバの足音を聞く余裕はなかったが、それでも違う。せわしないカイロが唯一休息を取る時間に見える。

通勤の人々の表情、昨日から新学年が始まった学生さんたち、そしてこの町の大事な要素の一つである警察官たち。。。新聞を受け取って事務所に届けるオフィス・ボーイ、掃除にいそしむ飲食店主、開店したばかりで客のいないカフェ。。。

オフィスに向かう人たちの流れに乗って、私の目当ては立ち食い屋の朝食だ。ホテルの朝食ほどつまらないものはないと信じる私は、しばしば訪問地で朝食を食べに出る。エジプト人の朝の定番はフール・モダンマス(豆を煮たもの)かサンドイッチ、パンとチーズのいずれかであろうか。

私は5年ぶりのカイロで、町の片隅のサンドイッチ・カウンターに入った。ものめずらしそうに汚いシャツを着た日本人をながめる店員さんに、お目当ての反ポンド(約10円)のババガヌージュ・サンド(ナスをひいたものににんにくが入っているババガヌージュをエジプトのパンであるエーシュにはさんである)をオーダーし、次から次へと金を片手に割り込んでくるおじさんおばさんにはじき出されないようにしながら、サンドイッチを受け取る。 カウンターの後ろで、ひっきりなしに訪れるお客さんを見ながら、ババガヌージュ・サンドを頬張り、幸福感に浸る。もう一つ食べたかったが、アラブに来るととたんに太る性質なので、我慢。明日は、昔のアパートの下にあったオヤジの店で、卵サンドにすることを決意し、「日本人か?」と叫ぶ店主に適当に答えながら店を後にした。060918_14510001

ところで、この記事の分類、グルメでいいのだろうか???

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